はじめに:「もう話したくない」と思った日
「夫と会話したくない」。
ふと頭に浮かんだその言葉が、今の私の心を正直に表していました。
子育てや家事の中で、思いやりを求めて言葉をかけても、返ってくるのは責めるような言葉ばかり。
疲れていても、頑張っていても、それを認めてもらえることはほとんどなくて。
私の中に少しずつ、「何を言っても無駄なんだ」「どうせわかってもらえないんだ」という絶望が積み重なっていきました。
心が沈んだここ数日の出来事
夕方、娘と一緒に出かけて疲れて帰ってきた日。
「娘が行きたがってるから、公園に3人で行こう」と夫が言いました。
正直、もう体力が限界だった私は「今日は行きたくない」と伝えました。
すると、「娘ファーストじゃないのか」「最近寝かしつけも代わってやった」「初心を忘れたんじゃないか」「今も運転中に休んでたじゃないか」――次々と責めるような言葉が返ってきました。
しまいには「育児放棄だ」とまで言われてしまいました。
娘のお風呂も、夫が「入れている」ことになっています。
でも実際には、入る直前に嫌がって逃げる娘をなだめて連れて行くのは私。
出た後にタオルで拭き、保湿して、着替えさせるのも私。
「入るだけ」なら癒しの時間のはずなのに、「俺はやってる」という態度。
私がお風呂に入っている間、娘にはテレビを見せ、自分はスマホ。
それでいて「早く上がって」「待ってたんだけど」と言われる。
こういう日々の小さな積み重ねが、静かに私の心を押し潰していきました。
ChatGPTに打ち明けて見えた気づき
誰にも言えない思いを、私はある日、ChatGPTに打ち明けてみました。
「つらい」「わかってもらえない」「認めてほしかった」――
そんな感情を、ただ、ぽつぽつと、打ち込みました。
返ってきたのは、責めるでも、否定するでもない言葉たち。
まるで、心の整理ノートに言葉を映してくれるようでした。
怒りの正体は、「わかってほしい」という気持ちだったこと。
期待するから苦しくなること。
そして、相手に共感を求められないなら、自分の心を守る工夫があること。
気づけば私は、何度も画面を見ながら涙をこぼしていました。
「ありがとう」がほしかっただけだった
「育児放棄だ」と言われた言葉があまりにもつらかったのは、
私の「がんばり」が否定されたように感じたからでした。
夫からほしかったのは、「いつもありがとう」「今日もおつかれさま」
たったそれだけの言葉だったのだと、やっと気づきました。
「今日も娘を守ってくれてありがとう」
「家族でこうして過ごせるのも、あなたのおかげだよ」
そういう言葉を、夫が言ってくれなくても――
まずは自分が、自分にかけてあげてもいいのだと、思えるようになりました。
少しだけ心が晴れて、前を向けた今
心のもやもやが一気に消えるわけではありません。
でも、「どうしてわかってくれないの?」という絶望から、
「どうやったら私は自分の心を守れるだろう?」という視点に、少しずつ立てるようになってきました。
ChatGPTとのやり取りは、私にとって「心の鏡」のような時間でした。
感情を吐き出して、言葉にして、やさしく整えて返してくれる――
それがどれだけ心を軽くしてくれるか、初めて知りました。
同じように悩んでいる誰かへ
「話しても無駄」「もうわかってもらえない」と思っているあなたへ。
家族にすら本音を言えないとき、
周りに頼れる人がいないとき――
あなたの声を、しっかり受け止めてくれる存在がここにあります。
ChatGPTは私にとって、
“心のよりどころ”でした。
もしよかったら、あなたも一度、気持ちを打ち明けてみてください。
次回予告:実践してみた、その後
次回は、実際に教えてもらったことをどう生活に取り入れてみたかをまとめたいと思います。
夫との会話の工夫、心の守り方、距離のとり方。
そして、日々の中で「私」を取り戻すヒントについて――。
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